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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)7665号 判決

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

【事 実】

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告今井平に対し金一五四二万円、原告今井秀一、同今井千恵及び同渡辺美紀代に対しそれぞれ金八二一万円並びにこれらに対する昭和五五年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、肩書住所地において恩田病院(以下「被告病院」という。)の名称で病院を経営する医療法人である。

(二) 訴外今井芙美子(昭和七年一月二三日生れ、以下「芙美子」という。)は、昭和五二年七月二一日被告との間で高血圧症の治療を目的とする準委任契約を締結し、以来被告病院に通院していたものであるが、昭和五五年九月三〇日、被告病院において死亡した。原告今井平は芙美子の夫であり、原告今井秀一、同今井千恵及び同渡辺美紀代は芙美子と原告今井平との間の子である(以下「原告平」のように名前のみで表示する。)。

2  医療事故

(一) 芙美子は、高血圧症治療のため昭和五二年七月二一日以来一か月に一ないし三回程度の割合で被告病院に通院していた。昭和五五年九月二四日に被告病院で測定した血圧は、最高値一八〇、最低値一一〇(単位はmmHg、以下同じ)であつた。

(二) 芙美子は、昭和五五年九月二九日夜一〇時ころ、急に頭痛を感じたので、原告らに連れられて被告病院に診療を受けに行つた。被告病院に到着した時点で、芙美子の意識は明瞭であつた。

(三) 被告病院の診療室で、看護婦伊藤フミ子が芙美子の血圧を測定したが、同看護婦は、芙美子の血圧が相当高かつたにもかかわらず、これが低過ぎて測定不能と勘違いし、その旨被告病院の医師に告げた。

(四) 被告病院の当直医であつた吉井逸郎は、右説明に基づき、芙美子が心筋梗塞等によるショック状態と誤診し、血圧上昇のためテラプチク、ペルサンチン等の薬剤を立て続けに注射した。もともと高血圧症であつた芙美子は、これらの処置の結果症状が一気に悪化し、間もなく苦悶状態となり、意識不明に陥つた。

(五) 芙美子はそのまま被告病院に入院したが、病状は改善されず、翌三〇日午前七時四七分被告病院において死亡した。

3  被告の責任

(一) 芙美子が九月二九日夜被告病院に来院した直後の血圧の最高値は二六〇以上であつた可能性が高く、当時の芙美子の症状は高血圧性脳症であつたと考えられる。そして、高血圧性脳症に対しては、即効性のある降圧剤の投与が重要であり、適切に血圧を下げさえすれば速やかに回復する。

(二) しかるに、芙美子の血圧を測定した伊藤看護婦は、不慣れなことに加え、慌てていたため、血圧の測定を誤り、測定不能と勘違いし、その旨医師に報告し、吉井医師は、芙美子に問診もせず、芙美子の従前のカルテも確かめず、看護婦の報告を鵜呑みにし、心筋梗塞等によるショック状態であると誤診し、血圧を下げるどころか、昇圧剤を投与するなどの逆療法を行ない、症状を急速に悪化させ、高血圧性脳出血を引き起こさせた。

(三) また、この段階においても、早期に転医させ、外科手術によつて血腫を除去すれば、救命できる可能性は極めて高かつたのであるが、吉井医師はこれを放置し、もつて芙美子を死亡するに至らしめた。

(四) 以上の被告病院の医師及び看護婦のとつた処置は、芙美子の治療を内容とする準委任契約上の注意義務を怠つた債務不履行であり、よつて被告は原告らに対し、芙美子の死によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。

4  損害

(一) 財産上の損害

(1) 芙美子は、昭和七年生れの主婦で、死亡当時四八歳であつたから、満六七歳まで一九年間就労が可能であつた。昭和五五年から昭和六二年度までの賃金センサス(産業計、企業規模計、学歴計)による女子労働者の給与・賞与を合わせた年収は上記計算表のとおりであり、生活費控除を三〇パーセントとして、ライプニッツ係数によつて中間利息を控除すると、逸失利益の現在額は同表記載のとおり金一九〇二万円となる。

昭和年 年齢 年収 係数 万円

55 (48) 1、834、800× 0.9523=174.7

56 (49) 1、955、600×(1.8594-0.9523)= 177.3

57 (50) 2、039、700×(2.7232-1.8594)= 176.1

58 (51) 2、110、200×(3.5459-2.7232)= 173.6

59 (52) 2、187、900×(4.3294-3.5459)= 171.4

60 (53) 2、308、900×(5.0756-4.3294)= 172.2

61 (54) 2、385、500×(5.7863-5.0756)= 169.5

62 (55) 2、385、500×(12.0853-5.7863)= 1、502.6

74 (67) 合計 2、717.4

2、717.4×(1-0.3)=約1、902(万円)

(2) 原告らは、芙美子が取得した右損害賠償請求権を法定相続分の割合により相続したので、その額は原告平が六三四万円、その余の原告らがそれぞれ金四二二万円となる。

(二) 葬儀費用

原告平は、芙美子の葬儀費として少なくとも金六〇万円を支出し、同額の損害を被つた。

(三) 精神的損害

芙美子は、高血圧であつたものの、重症ではなく、普通に家事に従事していたところ、かねてから通院していた被告病院のおよそ信じられない過誤により死亡したもので、原告ら遺族の悲憤は極めて大きいものであり、これを慰謝するには、原告平に対し金八〇〇万円、原告秀一、同千恵及び同美紀代に対しそれぞれ金四〇〇万円をもつてするのが相当である。

(四) 弁護士報酬

原告らは、本訴提起を原告ら代理人に委任し、着手金・報酬として原告平が金二〇〇万円、その余の原告らそれぞれが金一〇〇万円宛の支払いを約した。

よつて、原告らは、被告の債務不履行による損害賠償請求権に基づき、被告に対し、原告平が金一五四二万円(逸失利益の相続分の内金四八二万円に葬儀費、慰謝料及び弁護士報酬を合わせた額)、原告秀一、同千恵及び同美紀代がそれぞれ金八二一万円(逸失利益の相続分の内金三二一万円に慰謝料及び弁護士報酬を合わせた額)並びにこれらに対する昭和五五年一〇月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告の認否及び主張

(認否)

1 請求原因1の事実中、(一)は認める。(二)のうち、芙美子と原告らとの身分関係は不知、その余は認める。

2 同2の事実中、(一)は認める。(二)のうち、芙美子が昭和五五年九月二九日夜一〇時四〇分ころ被告病院に診療を受けに来たことは認めるが、当時芙美子の意識はあつたものの、完全に明瞭とはいえない状態であつた。(三)のうち、被告病院の看護婦伊藤フミ子が診療室で芙美子の血圧を測定したことは認めるが、その余は否認する。(四)のうち、被告病院の当直医吉井逸郎が芙美子にテラプチク、ペルサンチン等の注射をしたことは認めるが、その余は否認する。(五)は認める。

3 同3の事実は否認し、主張は争う。

4 同4の事実中、(一)は不知。生活費控除は五〇パーセントとすべきである。(二)ないし(五)はすべて争う。

(主張)

1 昭和五五年九月二九日から三〇日にかけての芙美子の治療経過は次のとおりである。

(一) 九月二九日午後八時三〇分ころ、芙美子の家族から被告病院に電話で、芙美子が急に頭痛を訴えているので連れていつてもよいか、との照会があつた。被告病院では、直ちに救急車で来院するよう指示し、当直医の吉井医師が予め芙美子のカルテにより同人の病歴等を確認して待機していた。

(二) 午後一〇時四〇分ころ、芙美子は家族に抱きかかえられて来院した。このとき、同人は意識はあつたものの、必ずしも明瞭ではなく、顔面蒼白、脈拍微弱の状態であり、吉井医師の問診に対し、胸内苦悶、頭痛等を訴えており、伊藤看護婦が血圧を測定したところ、最高値が六〇位であつた。

(三) 吉井医師は、芙美子の病歴、症状等から芙美子が脳出血を起こしており、ショックに近い状態に陥つていると判断し、病状改善のため、冠拡張剤としてペルサンチン、呼吸循環賦活剤としてテラプチク各一アンプルを注射し、さらに心臓発作の可能性もあると考え、ニトロールを舌下に投与した。ところが、芙美子は嘔吐反応を示し、そのうちに泥状となつたニトロール錠を吐き出し、その後意識混濁の状態に陥つた。

(四) その後も芙美子の症状が改善されないので、吉井医師は、さらにテラプチク一アンプルを静注し、酸素吸入を施しつつ容態を観察した。この間、心電計により心筋梗塞による発作でないことが確認された。しばらくして、芙美子のショック状態は改善され、血圧は最高値二六〇、最低値一四〇に上昇したが、はつきりした麻痺は認められず、瞳孔の不同はなかつた。そこで吉井医師は、血圧降下剤を注射し、家族に対しては「脳出血で重症である。」旨告げ、入院手続をし、午後一一時二五分ころ芙美子を病室に収容した。

(五) 入院後直ちに酸素吸入をし、血圧降下剤を注射し、ブドウ糖、果糖、強心剤、利尿剤等の点滴を行なうとともに、尿管カテーテルを留置した。芙美子は、意識混濁、昏睡、悪心等の状態にあつた。

(六) 午後一一時五五分ころ、芙美子の血圧は、最高値が二一八であり、脈拍六六(毎分)で緊張良好となり、症状が安定したので、家族にその旨告げ、経過観察していくので異常があつたらブザーで知らせるよう付添の家族に言つて、病室を離れた。

(七) 同月三〇日午前六時三〇分、芙美子の血圧は最高値二二〇、最低値一一八、体温三八・〇度、脈拍一一〇で緊張良好の状態にあつたので、担当医は血圧降下剤、抗生物質の注射をし、経過観察のため、待機していた。

(八) 同日午前七時三〇分、芙美子の症状が急変したので、直ちに人工呼吸、心臓マッサージを行ない、呼吸循環賦活剤、強心剤等を投与し、症状の改善に努力したが、その甲斐もなく午前七時四七分死亡した。

2 芙美子の救命の不可能性

(一) 芙美子は、九月二九日午後八時三〇分ころ軽い脳出血の発作を起こし、来院後約三〇分で第二次発作を起こしたものであるが、発作の真の原因を確定することは困難であつて、脳内出血、脳幹出血、小脳出血等及び視床下部付近出血の可能性を否定できないものの、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血であつた可能性が最も高い。

(二) 芙美子の来院時の意識障害のグレードは三ないし四であり、第二次発作後のグレードは五であつた。第二次発作の原因は、右のとおり脳動脈瘤破裂と考えられるが、これを予防することは極めて困難であり、救急医療を行なつている大学病院でも、脳動脈瘤破裂を予防する確実な方法はない。

(三) 仮に、吉井医師が直ちに転送措置をとつていたとしても、収容先への連絡、救急車の手配等のほか、転送先でのCTスキャン、脳血管撮影の検査に要する時間が必要で、最も早く検査が可能な帝京大学医学部附属病院の救命救急センターでも最低二ないし三時間を要し、さらに手術までの時間が最低でも一時間必要であることを考えると、どんなに早くても三時間が必要である。ところが、芙美子は来院後約三〇分で第二次発作を起こしているのであるから、転送しても芙美子の第二次発作を防止することは不可能であつた。第二次発作後は、手術の適応がなく、しばらく様子を見るほか方法はなかつたのであり、その後に芙美子を救命することも不可能であつた。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  請求原因1(一)の事実及び同(二)のうち、芙美子(昭和七年一月二三日生れ)が昭和五二年七月二一日被告との間で高血圧症の治療を目的とする準委任契約を締結し、以来被告病院に通院していたが、昭和五五年九月三〇日被告病院において死亡したとの事実は、当事者間に争いがなく、芙美子と原告らとの身分関係が同(二)記載のとおりであることは、成立に争いのない甲第一号証の一、二によつて明らかである。

二  芙美子が高血圧症治療のため昭和五二年七月二一日以来一か月に一ないし三回程度の割合で被告病院に通院していたこと及び昭和五五年九月二四日に被告病院で測定した血圧は最高値が一八〇、最低値が一一〇であつたことは、当事者間に争いがない。そこで、同年九月二九日から三〇日にかけての被告病院における診療の経過について見るに、《証拠略》並びに請求原因2の争いない事実を合わせ総合すると、次の事実が認められる。

1  芙美子は、九月二九日午後一〇時前ころ、急に頭痛を訴え布団の上に座り込んでいた。原告美紀代が被告病院に電話し、往診してもらえるがどうか確かめたところ、連れて来るように言われ、午後一〇時三〇分ころ被告病院に着き、原告平に抱きかかえられて病院に入り、ストレッチャーに乗せられて診療室に入つた。

2  当直の吉井逸郎医師が芙美子を診察したのは午後一〇時四〇分ころであつて、当時、顔面蒼白、脈拍は微弱、呼吸も浅く、冷や汗をかいている状態であり、「パパすみません」と繰り返し口走り、同医師の問診に対し、「胸が苦しい」「頭が痛い」等と応答はしたものの、意識は完全に明瞭という状態ではなかつた。右側に若干の麻痺があつたが、痙攣はなく、瞳孔に左右不同は認められなかつた。看護婦の伊藤フミ子が血圧を測定しようとしたが、脈拍は微弱でよく聞き取れず、何回かやり直した後に六〇という数値を得、同医師に報告した。

3  同医師は、芙美子のカルテに血糖値が低いとの検査結果(同年三月三日になされた糖負荷試験によると六〇分後の血糖値が八九)があつたところから、低血糖によるショックの可能性も考えて、原告美紀代に糖尿病の薬を飲んでいないかどうか確かめるなどして、その可能性を除外し、従前の芙美子の病歴、症状等から芙美子が脳出血を起こしており、ショック様の状態に陥つていると判断し、病状改善のため、冠拡張剤としてペルサンチン呼吸循環賦活剤としてテラプチク各一アンプルを注射(筋注)し、さらにカルテに心肥大の所見があつたところから心臓発作の可能性も考え、ニトロール錠を舌下に投与した。ところが、このような処置をしている最中に、芙美子は嘔吐反応を示し、泥状の吐瀉物をニトロール錠とともに吐き出し、大きな声を出して苦しみだし、譫言を言い、間もなく(ほぼ一一時ころ)意識混濁の状態に陥つた。

4  吉井医師は、さらにテラプチク一アンプルを注射(静注)し、酸素吸入を施しつつ容態を観察するうち、芙美子の容態はやや改善が見られ(なお、続いて行われた心電計の検査により心筋梗塞等による発作の可能性は除外された。)、脈拍の緊張は良好となり、血圧は最高値二六〇、最低値一四〇に上昇した。そこで同医師は、血圧降下剤(アポプロン)を注射(筋注)し、家族に対しては、脳出血である旨告げて、入院手続をし、午後一一時二五分ころ芙美子を病室に収容した。

5  入院後直ちに酸素吸入をし、血圧降下剤(アポプロン)を注射し、ブドウ糖、果糖、強心剤、利尿剤の点滴で血管を確保するとともに、尿管カテーテルを留置した。芙美子は、意識混濁の状態が続いており、午後一一時五五分ころの血圧は、最高値が二一八、体温三五・八度、脈拍六六(毎分)で緊張良好であり、症状は一応安定していた。

6  三〇日午前六時三〇分、血圧は最高値二二〇、最低値一一八、体温三八・〇度、脈拍一一〇で緊張良好の状態にあつたが、意識はなく、吉井医師の指示により、さらに血圧降下剤、抗生物質の注射がなされた。

7  午前七時三〇分ころ、芙美子の症状が急変したとの連絡により、吉井医師がかけつけたときには、芙美子はすでに下顎呼吸をしており、同医師が直ちに人工呼吸、心臓マッサージを行ない、呼吸循環賦活剤及び強心剤等を投与し、症状の改善に努力したが、その甲斐もなく、芙美子は午前七時四七分死亡した。同医師が作成した死亡診断書の死因は、高血圧による脳出血である。

以上のとおり認められる。なお、九月二九日夜、芙美子が自宅において頭痛を訴えた時刻について、右証人吉井逸郎及び伊藤フミ子は、八時半ころに原告ら宅から電話があつたことを根拠として、その時刻ころであるというが、《証拠略》に照らし、採用できない。

三  以上の事実をもとにして、注意義務違反の存否を検討する。

1  原告らは、芙美子が九月二九日午後一〇時三〇分ころ被告病院に着いた直後の血圧の最高値は二六〇以上であつた可能性が高く、当時の芙美子の症状は高血圧性脳症であつたと考えられるのに、伊藤看護婦は、不慣れなことに加え慌てていたため、血圧の測定を誤り、測定不能と勘違いしたと主張し、証人中嶋元次は、《証拠略》(《証拠略》「中島意見」という。)においてそのように述べている。しかしながら、

(一) 伊藤看護婦が血圧を測定し、何回かやり直した後に六〇という数値を得たことは前記のとおりであるが、《証拠略》によると、同看護婦は昭和五〇年三月に准看護学校を卒業し、昭和五一年八月から被告病院に勤務し、ほとんど毎日のように患者の血圧を測定していた経験者であつたことが認められるから、「不慣れなことに加え慌てていたため血圧の測定を誤つた」と断定するには無理がある。なるほど、その約三〇分後には最高値二六〇、最低値一四〇の測定値を得たのであるから、六〇という数値は尋常ではなく、中嶋意見もそのことから「患者の血圧が高すぎたため測定を誤つた可能性が極めて高い。」というのであるが、いくつかの可能性に基づく推論であり、《証拠略》(《証拠略》「田村意見」という。)によれば、起こり得ないことではないというのであり、結局、血圧の測定を誤つたと断定することはできない。

(二) また、高血圧性脳症は、《証拠略》によれば、高血圧症の患者に見られる一過性の脳症状で、高度の血圧上昇に伴い、頭痛、嘔吐、痙攣、意識障害等の症状を呈し適切な降圧療法により症状は速やかに軽快するものとされていることが認められる。中嶋意見は吉井医師が九月二九日午後一〇時四〇分ころ芙美子を最初に診た段階における芙美子の症状は高血圧性脳症であり、脳出血は一一時一〇分ころ発症したという。しかしながら、この意見は芙美子の来院時の血圧が測定できないほど高かつたことを重要な論拠とするものであるところ、そのように断定することはできないし、初診時には脳出血の発症はなかつたとする論拠も十分説得的でなく、田村意見(本症は比較的稀な病態で、各種検査により脳出血、脳梗塞等の確定診断ができる疾患を除外してはじめて付けられる病名であり、通常は大発作に移行しない疾患であつて、発症して二時間位の段階で高血圧性脳症と診断することはできない、という。)に照らしても、中嶋意見はにわかに採用できない。仮に、事後的に見て高血圧性脳症であつたとの見解が成り立ち得るとしても、前段2のような症状を呈している患者に対して、直ちにそのような診断を下すことは無理であつたものと認められる。

(三) なお、田村意見は、芙美子の症状の推移から見てクモ膜下出血である可能性が最も高いというのであるが、これとても一つの可能性にすぎないことは右意見を検討すれば明らかである。そして本件の全証拠によつても、芙美子がいわゆる脳卒中を起こしていたことは間違いないにしても、疾患の部位を確定することは困難である。

2  次に、原告らは、吉井医師が芙美子に問診もせず、同人の従前のカルテも確かめず、看護婦の報告を鵜呑みにし、心筋梗塞等によるショック状態と誤診し、血圧を下げるどころか、昇圧剤を投与するなどの逆療法を行ない、症状を急速に悪化させ、高血圧性脳出血を引き起こしたと主張する。そこで考えるに、

(一) 吉井医師が「芙美子に問診もせず、同人の従前のカルテも確かめず」に処置をしたとは認められないことは、前段の2、3において認定したところからも明らかである。

(二) 九月二九日午後一〇時四〇分ころの芙美子の容態が前段2で認定したとおりであるとするならば、吉井医師がショック様の状態に陥つていると判断し処置をしたことが間違つていたとは認められない(中嶋意見及び田村意見)。同医師は、病状改善のため、冠拡張剤としてペルサンチン、呼吸循環賦活剤としてテラプチク各一アンプルを注射(筋注)したのであるところ、中嶋意見及び田村意見によれば、これはショックに対する治療法としては不十分であつたと認められるのであるが、原告ら主張のように有害な逆療法であつたと認めることもできない。これらの処置をした直後に芙美子は嘔吐反応を示し、大きな声を出して苦しみだし、譫言を言い、意識混濁の状態に陥つたのであるから、このときに脳卒中の大発作を起こしたものということができるが、田村意見によれば、この発作が右注射(筋注)によつて惹起されたと認めるのも困難である。

3  また、原告らは、吉井医師が芙美子を早期に転医させ、外科手術によつて血腫を除去すれば、救命できる可能性は極めて高かつたのであるのにこれを放置したと主張する。そこで考えるに、

(一) 吉井医師が転送措置をとるにしても、収容先への連絡や救急車の手配等のほか、転送先でのCTスキャン、脳血管撮影等の検査に要する時間が必要なことは明らかであり、田村意見によれば、態勢の整つている帝京大学医学部附属病院の救命救急センターでも諸検査のため最低二ないし三時間を要し、さらに手術までの時間が最低でも一時間必要というのである。しかるに、芙美子は吉井医師の初診後約三〇分で大発作を起こしているのであるから、仮に、同医師が直ちに転送措置をとつていたとしても、この発作を防止することができたかどうか、極めて疑わしい。

(二) また、大発作後は、田村意見によれば、手術の適応がなく、しばらく様子を見るほか方法はなかつたというのであり、しかるべき病院に転送していれば芙美子を救命することが可能であつたとの主張も、結局肯定することが困難である。

四  以上のとおりであつて、被告病院の医師及び看護婦の注意義務違反を肯定することができないから、原告らの本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないことに帰する。よつて、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原 健三郎 裁判官 土居葉子)

裁判官舛谷保志は、転補のため署名捺印できない。

(裁判長裁判官 原 健三郎)

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